2018年6月13日水曜日

10-2 緊張の高まり

要点

  1. メキシコ政府の役人とテキサス人との間の緊張が高まり アナワク(Anahuac)で衝突。
  2.  Turtle Bayou決議でテキサスはメキシコ政府を支持するこ とを宣言

アナワクでの緊張

アナワクはトリニティーリバーとガルベストン 湾の交わる貿易の要所でブラッドバーン大佐が 1830年に、1830年4月6日法を施行するために到着。 

ブラッドバーンはすぐにメキシコ人の役人と衝突。それまでのメキシコ人役人のFrancisco Modero を不法に土地の権利を与えていたかどで逮捕

マデロを投獄し、Liberty政府を解散し、奴隷の無償利用 したことで、多くのテキサス人は、ブラッドバーンに怒り。

1831年新しい関税役人のGeorge FIsherが到着。煩雑 な手続きの関税にも不満。 オースチンはブラッドバーンに手紙を書き「新 しい関税は 実行不可能」と訴える。

 1832年 新しい入植者 トラヴィス(William B Travis) とジャック(Patrick Jack) はブラッドバーン(Bradburn) に敵意を募らせ、市民兵を募り、偽の噂を流す。 ブラッドバーンは二人を逮捕、裁判にかける。 テキサス人入植者はこの逮捕に激怒する。 

(読解チェック)1830年4月6日法がどのように してAnahuacでの諸問題につながっていったの か?


タートル・バイユー決議

ジャックの弟ウィリアムを筆頭に150人のデモ隊 が釈放を求める。怒ったテキサス人が、メキシコ 軍に発砲し、メキシコ兵を捕獲する。メキシコ政府は、 メキシコ兵の釈放とテキサス人がアナワクから撤退することを囚人釈放の条件にし、テキサス側も了承す る。ところが、居残った少数のテキサス人がい たことでメキシコ政府は2人を釈放しなかった。

アナワク(Anahuac)から撤退したテキサス入植者たちはタートル・バイユー Turtle Bayouに向かった。報復を恐れた彼らは大砲 を取り返すためにオースティンをBrazoriaに送った。 Anahuacに残ったテキサス人は、タートル・バ イユーの決議(Turtle Bayou Resolutions)を書 き上げた。 今回の出来事はメキシコに対する反乱ではなく、 権利と憲法を守っており、ブスマンテ大 統領の転覆を図るアントニオ・ロペス・デ・サ ンタ・アナ(Antonio Lopez de Santa Anna)を 支持する、という内容だった。

 (読解チェック)どうして入植者たちは、ター トル・バイユー決議を作成したのか?何を宣言 したのか?

Valascoの戦い

ブラッドバーン(Bradburn)は紛争の責任を問われ辞任。Piedras大佐ががアナワク(Anahuac)を治める。ジャックとトラヴィスは釈放される。
紛争が終了したことを知らないオースチンのグループは船で大砲を運ぶ。ブラゾス(Brazos)川の河口のヴァラスコ(Valasco)に着くが、メキシコ軍が通さなかったため、1932年6月26日戦いが勃発。3日後、メキシコ軍は弾薬が切れ降参。両軍にけが人多数。オースティンたちは大砲を持って、アナワクまで進むが、紛争は収まっていた。

テキサス内のメキシコ中央政府の力は増大していったが、メキシコ兵はメキシコ国内のサンタアナ将軍とブスマンテ大統領との内戦を戦うため去って行った。テキサス人はサンタアナが勝利して1824年憲法が戻ることを望んだ。

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