2018年6月15日金曜日

12-4 ヒューストンの第2期 (Houston's Second Administration) P271

要点


  1. ヒューストンは第二期政権中に赤字削減と、インディアンとの和平を目指す
  2. Regulator(規制者) とModerator(仲介者)がテキサス東部で反目し合う

ヒューストン再選

1841年の選挙はヒューストンとバーネットの戦いだった。
インディアン政策、無価値な貨幣redback、膨れ上がる赤字で、ラマール政権に不満を持っていたテキサス人はヒューストンを選び副大統領にEdward Burlesonを選んだ。

ヒューストンは、借金を減らして均衡予算(balanced budget)を目指した。就任後、公務員とテキサスレンジャーを削減した。政府の支出は480万ドルから50万ドルに減少。それでも、赤字は変わらず、共和国の借金は1845年には1200万ドルに成ってしまった。

通貨供給問題を解決するために、redbacksに変わる紙幣を発行したが、テキサス人はもはや紙幣を信用しなくなっていたため新紙幣もすぐに価値が下落した。

ヒューストンはインディア和平政策をとった。通商条約や、平和条約を結んだ。
1842年8月にカド(Caddo)族が調印 他の20部族にも説得
1843年3月には9部族(Caddo,Tawakonis, Wacoなど)との話し合いが行われた。
1844年10月 議事堂の虐殺のことが許せないペナテカ・コマンチェ族とヒューストンが話し合い。Treaty of Tehuacana Creek条約が結ばれる。和平と通商の合意はしたが、コマンチェとの境界線は定めなかった。

レギュレーター モデレーター 戦争 (The Regulator-Moderator War)

テキサスのインディアンとの関係は改善したが、テキサス東部のShelby郡では諍いが起こっていた。Redlandsと呼ばれるこの地域は中立領域(Neutral Ground)に接し、警察の力が弱く、多くの強盗や犯罪者などのならず者が居付く無法地帯だった。

1840年、アルフレド・ジョージ(Alfred George)とジョセフ・グッドブレッド(Joseph Goodbread)の間で、偽の土地証明書のことで争いが起こった。ジョージの友人の無法者のCharles Jacksonがグッドブレッドを殺害し、規制者(レギュレーター)という一団を結成。それに対し、グッドブレッドの仲間は、仲介者(モデレーター)を結成。反目し合い、暴力もざらだった。

地元の役人も争いを止めることができず、戦いは激化。どちらのグループも何百人にもなった。

1844年 ついに、ヒューストンの指示で、軍隊が出動。両グループの指導者を逮捕して戦いは幕を閉じた。






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