2018年6月13日水曜日

8−1 テキサスに対する(メキシコの)新政策

要点

  1. 国防のためメキシコ政府は国民のテキサス移住を促進。
  2. テキサスに入植したスペイン人、メキシコ人、アングロサクソン人(イギリス系)は異なる目的と方法を持って入植していた。

アングロ系テキサス人(テクシャン)を増やせ

1821年のメキシコの独立により、テキサスはメキシコのものとなり、メキシコ時代は1836年まで続く。この時代のメキシコ政府の新政策は、Miguel Ramos Arizpeが推奨したようにテキサスの入植者を増やすということであった。

この時期、テキサスはメキシコにとって国防に欠かせない国境(Frontier)であった。他にもメキシコの国境位は、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニアがあった。

テキサスはメキシコにとって、北のアメリカ合衆国やアメリカンインディアンから守る重要な緩衝地帯(buffer)としての役割があった。

7章でも学んだ通り、メキシコの独立戦争でテキサス内の人口は激減しており、国防には不十分だった。メキシコ政府は国民にテキサスに丹生食するように進めたがそれは簡単なことではなかった。誰も過酷な自然でアメリカンインディアンの襲撃もあるテキサスに行きたがらなかったからだ。

そこでメキシコ政府が目をつけたのが、アメリカ合衆国だった。ここには牧草地や農場を求めるアメリカ人開拓者がいた。そこで、メキシコ政府は、こうした開拓者に土地を与えることを認めた。すでにテキサスに住んでいたTejanos (テハノス)に対して、こうした主に白人の新しい開拓者はAnglos (アングロス)と呼ばれる。この後、数年にわたって、メキシコ政府は、アングロ系開拓者に向けた法制度を進めていく。

入植者たちの見解の違い

1830年までに、テキサスには、Spaniards (アメリカ大陸生まれのスペイン系)、メキシコ人、アングロ系が入植していた。そしてその目的は異なった。

スペイン人がテキサスに来た目的は、presidios (砦、伝道所)、施設、牧場、街をテキサスに作るためだった。スペイン人は、アメリカンインディアンにキリスト教を教え、スペイン風の生活様式を学び、スペインの臣民になることを目指した。

メキシコが独立を果たした頃には、伝道所は荒廃していて、兵士もインディアンもほとんど住んでいなかった。寂れた伝道所に資金を出すのを嫌った政府は、伝道所をsecularize(世俗化=宗教的ではなくなる、ということ)した。1831年までにテキサス内のすべての伝道所は、世俗化され、宗教施設ではなくなった。

メキシコ人は、スペイン人と同様に、防衛のためにテキサスに入植した。砦を作るのではなく、自衛した。アメリカン・インディアンの襲撃から完全に安全な土地はなかった。メキシコ政府は、土地を無料か格安で分ければ、危険でも人々は来てくれるだろうと願った。

危険を受け入れたものの多くにアングロ系移民がいた。彼らは経済的な理由で移住してきていた。次の章にあるおうに、アングロ系商人たちは、テキサス中に入植し、畑や農場を作り、海岸沿いでは、港や船を作った。スペインやメキシコ人と異なり、インディアンに文化を伝えようという意思はなく、インディアンを入植地から追い出した。




0 件のコメント:

コメントを投稿