- 大統領として、サム・ヒューストンは内閣(cabinet)を創設
- 問題は、軍の規律、借金、公地
- ヒューストンはテキサス内のアメリカン・インディアンの権利を守ろうと努力。
ヒューストン政権
1836年10月22日
初代大統領にヒューストンが就任
アメリカン・インディアンとの平和的関係
メキシコからの攻撃対策
合衆国への併合を目指し、内閣を組閣
財務大臣 ヘンリースミス (Henry Smith)
防衛大臣 トーマス・ラスク (Thomas Rusk)
国務大臣 スティーブン・オースティン
しかし、12月27日に、オースティン病死。テキサス人はテキサスの父の死を悼む。
最高裁判官 ジェームス・コリンスワース(James Collinsworth)が任命された。
テキサスの国境を定める (Defining Texas)
ヒューストン就任時、テキサスには明確な国境がなかった。
国会はリオグランデ川を国境と主張。しかしメキシコは認めず、Nueces川の南や西に住む多くの人も自分はメキシコに住んでいると考えていた。
共和国には首都が定まってなかった。ヴェラスコは革命時の暫定首都で、Columbiaに移転するが小さすぎた。そこで、1837年ヒューストンという小さな街が首都に決まった。1837人は12人しか住民がいなかった街が、4ヶ月後150人が住むようになった。
公約した通り、ヒューストンは合衆国への併合を目指すが、合衆国側はテキサス併合に興味を示さず、独立国としては認めた。
ヒューストンと軍
国境を定めている頃、軍の内部で新たな問題が発生していた。
合衆国からテキサス革命のために義勇兵がどんどんテキサスに到着したが、ときすでに遅く、すでに革命は終わっていたが、何か行動を起こしたがっていた。戦争が終わっても、メキシコへの敵意を持ち続けていた。その一人が、Felix Huston司令官。彼はメキシコ侵略を主張。ヒューストンは危険すぎるとして、より穏健なAlbert Sidney Johnstonと交代させる。この決定で怒ったHustonは決闘で、Johnstonは怪我をし、任務につけなくなる。他の司令官は、自分の兵に首都まで行進させ「大統領にお仕置きを、国会解散、テキサスに法を」と叫ばせた。ヒューストンは600の武装兵士を解雇した。
国境防衛では、ヒューストンは自警団に任せた。1835年に結成された自警団だが、軍隊とのトラブルが多かった。
1836年1月につくられたテキサス海軍も問題が多かった。修理費をテキサス共和国は払えず、リバティー号はニューオリンズに。他の船もニューヨークに没収されてしまい、インヴィンシブル号はメキシコに破壊され、ブリュータス号は嵐で沈んでしまった。
経済政策
新共和国には深刻な財政問題があった講話国の歳出(expenditures)は歳入(revenue)を大きく上回っており、赤字が125万ドルもあった。増税、公地売却するも足りず、合衆国から借金をした。
1837年、合衆国で恐慌が起こり、テキサスも不況になる。
テキサスは製造業が弱く、輸入が多く、資金が国外にでていった。そこで、政府が貨幣をより多く印刷したが、それが元でインフレになり、共和国紙幣の価値は暴落した。
土地政策
金は無くても土地が豊富なテキサスで、土地収得のガイドラインが作られた。アフリカ人やインディアンを除いた家長は4606エーカーが与えられ、17歳以上の男子がいれば、1476エーカーが追加された。革命で戦ったテキサス人にはボーナスで土地が与えられ、1836年以降に来た義勇兵らも少し与えられた。
テキサス政府はこれらの土地で経済が立ち直り、税収が上がることを期待した。メキシコのエンプレサリオ方式で、移民の入植を促進し、450万エーカーを入植者らに分配した。
ヒューストンのアメリカンインディアン政策
ヒューストンはアメリカンインディアンと共存ができると確信していた。分配された土地の一部はもともとアメリカンインディアンの土地だったことから紛争が始まった。革命時、ヒューストンはチェロキー族の土地の確保を約束していたが、その約束は議会で否決されてしまった。
その決定にチェロキー族が怒ったため、ヒューストンはBowles酋長に手紙を書いた。すると次は入植者たちが怒った。
1836年5月、コマンチェ族と甲斐大和族が、パーカー砦(Fort Parker)を攻撃し、住民34人を殺害され少女を含む5人が捕虜になる。テキサス人が西に広がるにつれて、平原インディアンとの抗争が激しくなっていった。
抗争を減らし、平原のテキサス人を守るために、ヒューストンと国会は、アメリカンインディアン政策を発展させた。砦を作り、交易を推進した。ヒューストンはこの改革で両者の関係が改善することを望んだ。
ヒューストンはアメリカンインディアンとの共存を望んだが、ほとんどのテキサス人は反対し、インディアンがいなくなることを望んだ。
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