- ヴェラスコ条約(Treaties of Valasco) によって、メキシコはテキサスの独立を認めることになったが、条約は守られなかった。
- テキサスは最初の国政選挙を1936年に実施した。
ヴェラスコ条約 (The Treaties of Velasco)
サン・ジャシントの戦いの勝利によって、テキサスは自由な共和国になった。テキサス共和国は、1836年から1846年の10年間続いただけだった。共和国設立当初はテキサス国内にメキシコ軍がまだ駐留していたが、サンタアナは命と引き換えにメキシコ軍の撤退を約束した。
テキサスの暫定首都ヴェラスコで、テキサスの暫定大統領バーネット(David G. Burnet)とサンタアナは2通のヴェラスコ条約(Treaties of Velasco)に署名した。1通の条約は一般公開用のもので、次のように書かれていた。
- メキシコとテキサスの戦争は終結し、テキサスは独立した。
- サンタアナはテキサスに対して兵を挙げない。
- すべてのメキシコ軍はリオグランデ川以南に
- 囚人は釈放
- メキシコは奪った財産を返す。
- サンタアナをメキシコに戻す
2通目の条約は秘密にされており、サンタアナがメキシコ人の指導者たちにテキサスの独立を認めるよう説得することが約束されていた。
条約に署名がされると、Filisola将軍はすぐに撤退。でも、テキサス側は枠速を守らずサンタアナをすぐにメキシコに返さずに、ワシントンDCへ連れて行った。その表向きの目的はメキシコとテキサスの永続的平和のためだが、成果はなかった。
同様にメキシコ政府も約束を守らなかった。サンタアナは一人の囚人で大統領ではないため、条約は無効とし、テキサスの独立を認めなかったのだ。
リーディングチェック
ヴェラスコ条約の効果がほとんどなかった理由は?
1836年の選挙
テキサス共和国のもう一つの課題は新政府の体制作りだった。1836年憲法では指導者は選挙で選ばれることになっていた。同時に、テキサス人は1836年憲法を承認するか、また、アメリカ合衆国への併合(annexation)を進めるか決めることになっていた。大統領選にはテキサスの英雄たちが立候補した。スティーブン・オースティン、サム・ヒューストン、ヘンリースミス。
その中でも一番人気があったのは、サン・ジャシントで功績のあったサム・ヒューストンだった。
ヒューストンが大多数の票を得て当選。副大統領に選ばれたのは、同じく、サン・ジャシントの英雄ミラボー・B・ラマール(Mmirabeau B Lamar)。大多数のテキサス人が、1836年憲法を承認し、合衆国との併合を求めた。
リーディングチェック
1836年テキサス人が選んだのは誰?
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