2018年6月18日月曜日

14−3 共和国の最後の数年 The last years of the Republic P303

要点

  1. 1844年、アンソン・ジョンズAnson Jones がテキサス共和国大統領に選ばれる。
  2. ジョーンズ時代、テキサス人はアメリカとの併合をより一層求めるようになる。

時代背景
1844年12でヒューストンの演説
テキサス・メキシコの戦争は回避した。 1842年以来、メキシコからの侵略はない。囚人は一人を除いて皆帰還した。経済は回復している。ヒューストンは次期大統領にも彼の方針を継承してもらいたいと思っていた。

アンソン・ジョンズ大統領 President Anson Jones


次期大統領を誰にするかという議論は白熱した。1844年の選挙で、テキサス共和国は分裂した。新聞は両候補の激しい批判を書きたてた。エドワード・バールソン副大統領 Vice president Edward Burleson とブラゾリア出身の医師でサンジャシントの英雄でもあるアンソン・ジョーンズAnson Jones の戦いだった。アンソン・ジョーンズはヒューストン政権下で国務大臣を務めていた。

アンソン・ジョーンズはヒューストンの政策を支持しており、バールソンはヒューストンの政策に反対だったのでラマールの支持者から支持された。

結果は、アンソンジョーンズの圧勝。多くの国民がラマールの政策を批判していたので、ラマールに支持されたことがバールソンの足かせとなった。副大統領はKenneth Andersonが選ばれた。

アンソンジョーンズ大統領は共和国の経済問題に取り組んだ。共和国は建国当時から赤字で、ラマール時代に赤字が膨らんだ。ヒューストンが立て直しを試みたが1942ねんと43年の綿花の不作で経済は復興しなかった。

ジョーンスは、国家支出を削減。テキサスのアメリカン・インディアンとの和平を試みた。アメリカ合衆国との併合が現実味を帯びてくると通貨の価値が上がってきた。1845年までには、アメリカ合衆国との通貨と同じくらいの価値となり、豊作年には貿易高も増え、テキサスの景気は良くなっていった。

テキサス人、併合について議論する Texans debate Annexation

アンソン・ジョーンズ大統領はアメリカ合衆国との併合にも積極的だった。1936年の建国時、テキサス人も併合に賛成したが、ヒューストン政権は賛成でも、ラマール政権は反対だった。

国務長官として、アンソン・ジョーンズはヒューストン政権時代に併合などのテキサスの外交を緻密に計画していた。1843年の新聞では、「大多数の国民は併合に賛成」と書かれた。

就任直後の数ヶ月は、ジョーンズは併合については公言しなかった。テキサス人ははっきりした答えをもとめもどかしく思った。どんどん多くの国民が併合を求めるようになった。しかし、ジョーンズは、併合か独立かの選択肢を持っておくべきだと考えていた。それは、メキシコから独立の承認を得て、メキシコと和平関係を結べるかどうかにかかっていた。

メキシコと交渉を望むテキサス人はほとんどおらず「メキシコの目的は嘘をつき我々を欺くこと。政治家はだませても、テキサス人はだませない」と1845年の新聞には書かれてあった。そのうちに、メキシコがテキサスの独立を認めそうだという話がはるようになってきた。テキサスは独立を保つか、併合をめざすか、再び議論し始めた。

リーディングチェック
ジョーンズ大統領が、併合の決断を遅らせたのはなぜか。













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