2018年6月17日日曜日

14-1 テキサスの国家承認 (Foreign Recognition of Texas) P294

要点

  1. テキサス共和国はメキシコとの戦争の脅威を減らすために外国からの国家承認をめざす。
  2. 多くのテキサス人はアメリカ合衆国との併合を望む。
  3. 数カ国がテキサスの独立を認める。
時代背景
テキサスの旗艦船インデペンデンス号がニューオリンズから帰港中トラブルに遭った。メキシコの戦艦と会い、戦いになり、外交官のWilliam H WHartonとすべての船員は捕らえらてしまった。メキシコが独立を認めるまで、テキサスに安全がこないことは明らかだった。

テキサス国家承認を追求する (The Quest for Texas Statehood)

テキサスとメキシコの関係が、テキサス共和国の外交(foreign relation)の要となる。メキシコはテキサスの独立を認めず、メキシコにとってテキサスは反乱中の州に過ぎなかった。テキサスはこの問題を解決しないと、前述のインデペンデンス号のようなトラブルが起きる。もし、外国諸国がテキサスを国として認めればメキシコも認めざるを得なくなり、戦争の危険も減るだろう。最も大切なことはアメリカ合衆国の外交承認(deplomatic recognition)を得ること。

ヒューストンはそれ以上のものを望んだ。テキサスがアメリカ合衆国の一つの州になることをめざした。それはヒューストンの選挙公約でもあった。しかし、アメリカはテキサスを併合することには消極的だった。共和国の存在を認めることすらためらった。アンドリュージャクソン大統領は国会で、テキサスの独立を認めたらメキシコが起こって戦争になる」と警告した。

アメリカ合衆国がテキサスを併合したがらない理由はいくつかあった。
メキシコを怒らせると戦争になるかもしれない。アメリカの北部臭は、奴隷州を増やすことに激しく反対した。

当時、ワシントンDCに送られていたワートンWilliam H Whartonは、ヒューストン大統領に次のような報告をしている。
「独立は認められるだろう、でも、併合される望みはあまりない。併合についての激しい議論がすでに始まっている。」

ワシントンで併合の議論がされているころ、ジャクソン大統領はHenry Morfitをテキサスに派遣してテキサス共和国の状況を調査した。モーフィットの報告は、国会承認すべきではない、というものだった。理由は人口が少なすぎ、借金が多すぎ、承認すればメキシコを敵に回すことになるから、というもの。テキサス共和国が存続するかどうかすらわからなかった。

外国からの国家承認

ワートンは正しかった。モーフィットの報告に反し、アメリカ合衆国は公的にテキサスの独立を認めた。1837年、アンドリュー・ジャクソン大統領は、任期の最後に、テキサス担当相を任命。テキサスも代表者をワシントンに送る。

ワートンの予想通り、合衆国はテキサス併合には反対。これにはテキサス人は皆失望した。しかし、テキサスの指導者達は正式な外交ルートが合衆国と結べれば、貿易や借金がしやすくなり、テキサスの経済が良くなるり、移民が増える、と考えた。

ヒューストンは、テキサスの立場を強固にするために、他の外国とも国交を結ぶことに尽力した。
1837年、国家樹立のためJames Pinkney Hendersonをヨーロッパに送った。
1839年、フランスがテキサスを承認。英国、オランダも続く。
ラマール大統領は金と脅しでメキシコと交渉をしたが、メキシコはテキサスの国家承認を拒否し続けた。

リーディングチェック 
テキサスを独立国と認めたのはどの国か?







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