2018年6月17日日曜日

13-3 当時のテキサスの生活 (Texas Life) P286

要点


  1. テキサス共和国のほとんどの人々は農場か牧場に住んでいたが、街に住んでいる人もいた。
  2. 狩り、文学、芸術がレジャーだった。
  3. 協会や学校が社交センターだった。


酪農業 町、そして、移動手段 (Farming, Towns, and Transportation)

テキサスの農場主は大農場主もいたが、ほとんどが小規模で奴隷はほとんどおらずいても数人で、悔恨、家づくり、植え付け、牧場作りなどは自分で行い、自給自足の生活をしていた。商品咲くものとして、とうもろこし、綿花、ライ麦、大麦を作っては売ることもあった。

牧場主は、動物を育てて、自分で使ったり、他のテキサス人に売ったりした。食肉や獣皮(hides)や他の物品を売った。Taylor Whiteといったような大牧場主は、ニューオリンズに家畜を売りに行くこともあった。

町も発展した。ヒューストン、ガルベストン、ダラスなどでは、土地の投機家(Land speculators)が大きな土地をかって、小分けにして売って儲けを得ていた。しかし、買い手が払えないと損をした。テキサス人は現金を使わない習慣があったので、簡単ではなかった。

共和国時代の移動は道路が悪く、天候が悪い時はもっと大変だった。川が使われた。
1840年までにブラゾス側、コロラド川、トリニティ川で蒸気船が行き来し、綿花や農産物を移動した。しかし、蒸気船に向いた川はテキサスにはほとんどなかった。

交通手段が整備されていないことが、テキサスの商業発達を遅らせた。

レジャーと文学と芸術 (Leisure, Literature, and Art)

テキサス人の生活は仕事だけではなかった。様々なレジャーがあった。仕事のような楽しみもあった。例えば、新規開拓者のための家づくり、丸太切りコンテスト、狩り、釣りなど。
またコンサートや競馬、演劇などの芸術も楽しみ、ラマールは詩人で、スランスの画家Theodore GentilsはテキサスにHenri Castroと来た。

教会と学校 

テキサス革命後、ローマカトリック教会以外の宗教も認められることになった。プロテスタント派(Protestant denominations) の教会が数多く作られた。その中でもメソジスト教会(Methodist Charch)が最大宗派。次にバプティスト教会、長老派(Prebyterians)教会、聖公会(Episcopalians)が続いた。ユダヤ教のシナゴーグも作られた。

教会などは、宗教や社交センターとしての役割があった。日曜学校の他に、教会は様々な催しを開いた。国境付近では、馬に乗った巡回牧師(Circuit riders)が奉仕した。

教会は学校も経営した。Rutersville Collegeはメソジスト教会によって1480年に設立された。現存する中で最も古いBaylor Collegeはバプティスト教会によって1845年に設立された。

公立学校があったのはヒューストンだけ。しかも1840年代に開校したり閉鎖したりを繰り返した。他の地域には、私立のアカデミー(academy)を建て、高校レベルの教育を行った。







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