2018年6月14日木曜日

11-4 1836年の協議会 (The Convention of 1836) P240

要点

  1. 1836年の協議会で、テキサスの独立を宣言
  2. 1836年の憲法で、テキサス共和国( Republic of Texas)の最初の政府が設立される。

テキサス、独立を宣言 (Texas Declares Independence)


1836年の協議会は、同年、アラモが陥落する前日、3月1日にワシントン・オン・ザ・ブラゾス(Washington on the Brazos) で始まった。アメリカの元議員、サム・ヒューストンや、メキシコの元議員、Lorenzo de Zavalaを含む59人が集まった。

協議会はすぐにメキシコからの独立を宣言。1836年3月2日、代表団は全会一致にテキサスの独立宣言を採択。テキサス中にそのコピーが配布された。

独立宣言を書いたのは、George C Chidress  アメリカの独立宣言を基にして作成。1824年憲法で保障されていた権利を否定するサンタアナ政権への不満を並べた。テキサスはメキシコの一部でいることにもはや耐えられなかった。

独立宣言に署名した59名のうち、56名はアングロ(白人)系、2人はテハノス(ヒスパニック系)のAntonio Navarro と Jose Francisco Ruiz そして 一人のメキシコ人Lorenzo de Zavalaだった。独立宣言の採択をもって、テキサス共和国が誕生した。テキサス人は今でも、3月2日を独立記念日として祝う

リーディングチェック
1836年の協議会が最初に取った行動とは?なぜ、その行動をとったのか。

1836年憲法(The Constitution of 1836) 

独立宣言採択後、代表者たちは、サンアントニオのアラモに向かおうとしたが、サム・ヒューストンは残って憲法を作るべきだと主張。

1836年協議会のほとんどがアメリカ合衆国生まれだったので、憲法も合衆国憲法を基に作られた。政府は、立法府(legislative)、行政府(exective)、司法府(judicial)に分立。アメリカ合衆国と同じようにテキサス共和国も国民主権(Popular sovereignty)を基本としていた。所有権に関してはスペインやメキシコの影響が残っていた。

メキシコからの独立を宣言することで、協議会は、テキサスの政治的独立も主張した。テキサス共和国憲法の中には、権利章典(=誰にも奪えない人権保障規定)が含まれている。表現の自由。信教の自由。不法に逮捕されない自由、公教育や定住者への土地供与も保障した。

新憲法は奴隷制を認めていた。アフリカ人やアメリカン・インディアンは議会の許可なく市民にはなれなかった。テキサスに残ることを希望する自由奴隷は政府に請願(petition)をしなければいけなかった。最初の請願者はSamuel McCulloch Jr. ゴリアドで1835年の革命時に負傷した元奴隷である。

テキサスは戦争中だったために、政府も暫定(ad interm)政府だった。正式なリーダーは選挙で選ばれることになったが、暫定大統領として、David G Burnetが知事に、Lorenzo de Zavalaが副大統領となった。彼らは1832年3月17日にWashington-on-the-Brazosで就任したが、メキシコ軍が迫ってくるということで、Harrisburgに移り、そこからもすぐに逃げた。場所を移しながら、暫定政権はSam Houstonとその軍に暫定政府の未来を託した。


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11-4 要点



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