2018年6月14日木曜日

10-4 戦争への動き (P215- P217)

要点
  1. サンタアナのメキシコ政権は、テキサスの管理を強化する。
  2. 不満を募らせたテキサス人らは、メキシコとの戦争を求めるようになる。

メキシコの管理に苛立つテキサス人の一人、アンドリュー・ブリスコー(Andrew Briscoe)は、メキシコ人の役人を困らせようと、自分の船にレンガをたくさんのせ、船を重く見せかけ、密輸をして税金逃れをしているように見せかけようとした。役人もこのいたずらに苛立ち、ブリスコーを逮捕した。

メキシコ、管理を強化


ブリスコーの行動は、メキシコ政府の管理に対するテキサス人の苛立ちの表れである。1834年サンタアナは、メキシコはまだ共和国にはなれないと宣言。1824年州憲法を復活させるという就任前の約束を早速反故にした。

アメリカからの移民 は合法化(legalize)し、幾つかの関 税は撤廃するも、1835年に軍と税徴収人をテキサスに送る。

1835年春、Antonio Tenorio 大佐がアナワクで税収を始める。1832年以来の徴収にテキサス人は立腹。

船にレンガを積んで、密輸と見せ かけ、役人を困らせた罪で逮捕さ れたアンドリュー・ブリコー (Andrew Bricoe)を救うために、トラヴィスはアナワクに行き、 テノリオ(Tenorio)に降伏を要求、 拒否されたため、攻撃。テノリオはテキ サスから撤退。 

トラヴィスの行動にテキサス人は困惑。 多くの人が心配した通 り、この紛争で、メキシコ政府は 支配を強化した。マルティン・ペルフ ェクト・デ・コス(Martin Perfecto de Cos)将軍をおくり、トラヴィス や元メキシコ議員のザヴァラ(Zavara)を逮 捕。テキサスの支配を強める。コスは、テキサス内のメキシコ軍を増やすように命令した。


戦争か、平和かの論争

コスの命令に、テキサス住民の不安は高まり、意 見は2つに分かれた。軍人コスは囚人と軍法会議にかけようとしていた。これはメキシコでは合法だが、アングロ系市民にとっては受け入れがたいことだった。彼らは、陪審員裁判が保証されたアメリカに住んでいるのだから。

テキサス人は議論を重ねた。メキシコと 平和な関係を築きおとなしくしていようという派閥とメキシコに 抗議すべきと考える派閥。 

テキサス内メキシコ系のテハノス たちは、サンタアナの中央集権 主義には苛立ちを覚えながらも、 アングロ系移民が自分の利益ばかり考えてメキシコの連邦主義を進めないこと にも苛立っていた。 

議論の最中、オースティンがメキ シコから帰還。平和のために赴いたメキシコで逮捕されたことで、彼のメキシコに対する考えは変わっていた。オースティンは、テキサスが力を合 わせてサンタアナと戦うしかないと人々を激励。「我々の権利、と自分自身、 我が国を、武器の力で守ること以 外に治療法はない」


リーディングチェック

オースティンの逮捕や、テキサスでの紛争によって、どうして人々が戦争を求めるように変わっていったと思いますか?


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